いくつになっても、突然「生きる意味」について考えこんでしまうことってありませんか?
簡単なようで、なかなか納得できる答えの出ない「生きる意味」。
「そんなこと気にして生きてる動物は人間だけだよ」と言われても、 気になるのだから困ってしまいますよね。
この記事では【生きる意味が分からないという方】のために、少しでも納得できる答えを提案していきます。
目次
そもそも「生きる」とは?

まずは人間以外の動物を見ながら、「生きる意味」について考えてみましょう。
人間以外の動物たちは、今日食べる物を命懸けで手に入れています。
そしてなんとか今日を生き抜きます。
そしてどこまでもシンプルに、子孫を作って未来に命をつなげることだけに集中していることが分かります。
頭では分かってはいても、現代の日本の生活はそれを許してはくれません。
自分で狩りをしなくても、スーパーに行けば肉も魚も簡単に手に入ります。
やる気は無くても、そこそこ無難にこなせる仕事に就いて、食べ物を買うためのお金を稼げば飢えて死ぬことはありません。
戦時中のように必死に働かなくても、大人1人ならほとんど死ぬことはありません。
周りを見回してみると、似たような生活レベルの人がたくさんいますから、それが特別感謝すべき状態とは感じなくなっていきます。
そしてほとんどの人が、命を狙われることがありません。
「死んでいる人間」を見ることも、あなたと関係のある身近な人が亡くなったときくらいでしょう。
「死」が見えにくくなることで、「生きる」ということも見えにくくなっているようです。
私なりの「生きる意味」
私の結論から言うと、「生きる意味」なんて別にないと思います。
昔のように常に命を狙われていたり、生きることが困難なときには、人はなんとか生きのびたいと考えます。
逆にそんなに頑張らなくても生きていける環境に居続ければ、死にたくなったりします。
自然界で他の動物たちと同じような生活をしていれば、人間だって毎日生きることだけに必死で「生きる意味」など考えないでしょう。
それはつまり、現代の多くの日本人にとって「生きることが簡単になってしまった」ということがあると思います。
少なくとも日本では「変なプライド」さえ捨てれば、 食べること寝ることに困ることはありません。
食べるものはあまりにあまっていますから、あきらめずに頼み続ければ誰かしら助けてくれます。
ただ変なプライドを捨てきれずに、誰にも助けを借りなければ、食べれない場合もあるでしょう。
食べる・寝る・生きているということが、誰にでも出来る「特別感のないこと」に思ってしまって、「生きる意味」を考えてしまうのではないでしょうか。
必死にやってもやらなくも、一生懸命働いても働かなくても、最低限生きていけてしまうと、何で生きてるんだろうと考えてしまいます。
でもそもそもが、絶対的な「生きる意味」など存在しませんから、それを考え込むことは「悩む自分に酔っているだけ」のただの自己満足かもしれません 。
考えるより、「興味のあること」に向かってただ生きるだけのほうが迷いがなくなります。
「それが出来れば悩みはしないよ」と言われそうですね。
ですから、まずは「やりたくない」ことを何が何でも誰がなんと言おうと「やらない」ことから始めてみるといいでしょう。
自分の「やりたくない」という心の声に耳を傾けてあげることで、今度はあなたの心が「やりたいこと」を少しずつ話してくれるはずです。
そして毎日、没頭できることに時間を費やす生活を作り上げるか、考える暇もないほど働くことで、「生きる意味」を考えてなくて済むようになります。
「生きる意味」が分からないなら まとめ
私も「生きる意味」を考えて迷路に迷いこみ、出口が見えなくなったことは1度や2度ではありません。
その度に「自分自身が楽しくなること」を追求してみたり、「自分以外の人のために行動してみたり」して色々ともがいています。
そんな中で大きなことではなくても、ちょっとした「ボランティアや寄付」で得られる充実感を知りました。
ただじっとして動かずに悩み続けているよりは、ただ動いているだけで「こんな感じでいいんじゃないかな」と思える瞬間があります。
まだまだ立ち止まる時もありそうですが、なるべく「自分のためと他人のためとのバランス」を取りながら、体を動かしていくのがおすすめです。